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 撮影を始めて一時間、杏はウッドデッキに腰を下ろし、ボンヤリと星空を眺めていた。
「降ってきそう」 と髪をかき上げる。
 いつもより綺麗に星が見える。
 標高のせいか、空気が澄んでいるせいか、それとも、単に街明りがないからだろうか。このままこうして見上げていれば、そのうち魂ごと空に吸い込まれてしまいそうだとさえ思えてくる。
「ちゃんと撮れてるかな」
 ふと不安になって三脚に目を向ける。
 ピントは無限大に合わせた。
 絞りは開放値から一段だけ絞り込んだ。
 なるべくノイズが乗らないよう、ISO感度の調節とリダクション(自動除去)機能の設定もやった。もちろん、ハレーションを防ぐためのホワイトバランスの設定もした。
 バッテリOK、三脚の固定もOK、最後に試し撮りもした。
「大丈夫。撮れてるはず」
 杏は言い聞かせるように頷いた。
 今回のようなバルブ撮影の場合、一度レリーズを押してシャッターを開いてしまえば、杏にできることはもう何もない。せいぜい風や震動で三脚が動いてしまわないよう祈っておくくらいのものだ。
 両膝を抱え、バンガローの壁に背中を預けて夜空を仰ぐ。
 こぐま座のα星、ポラリス。現在の北極星であるこの星は、一時間が経った今でもまったく動く様子がない。撮影を始めたのが7時すぎだから、夜が明けて撮影できなくなるまであと10時間もない。つまり、できあがった写真には、北極星を中心にほぼ半周だけ移動した星達が描かれることになる。
 夜は更けたばかり。朝はまだ遠い。
「早送りできればいいのに」
 などと言いながら、杏は膝を抱えこんだ。
 少し冷え込んできたせいか、ほんの少し息が白い。
 コンコン、と窓を叩く音に振り返ると、リビングから遊馬が見下ろしていた。
 何?と顔だけでふり返る。
「できたぜ」
「やた!食べる食べる!」
 杏は目を輝かせ、でも振動は立てないようにそっと腰を浮かした。
「座ってろ。持ってってやる」
 遊馬は静かに網戸を開けると、カレー皿とコップを杏の隣に置き、その隣に恐る恐る腰を下ろした。途中、バキ、とデッキが軋む音に「あ」と体が硬直する。
「大丈夫よ」
「揺らしたらダメなんだろ?」
「そうだけど」
 杏は「いただきます」と両手を合わせ、カレー皿を手に取った。一口食べるなり「美味しい!」と声を上げて手元を覗き込む。
「何これ?挽肉とナス?」
「ああ、素揚げしたナスに挽肉を絡めてルーと一緒に煮込むんだ」
 美味いだろ、と遊馬が笑う。
「すっごい美味しい。こんなカレー初めて食べたわ」
「そりゃ良かった」
 満足そうにスプーンを口に運ぶ。
「うまっ!」
「自分で言ってるし」
 杏はカレー皿を膝の上に載せ、体を小さく前後に揺すった。
「寒いか?」
「ううん。カレーのおかげで温まった」
「そっか」
 遊馬は大口を開けてカレーを放り込んだ。噛まずに飲み込んでるんじゃないかしら、と思えるほど、遊馬の手は止まることがない。
「誰かに教えてもらったの?料理」
「本に載ってた」
「料理本とか読むんだ」
 意外ね、と突っ込む杏に、遊馬は苦笑いを浮かべて返した。
「何よ」
「別に。ただ、俺がメシ作るのってそんなにイメージ無いかなと思ってさ」
「ないない」
「ないんだ」
 遊馬はあっという間にカレーを平らげると、手の甲でぐいと口元を拭った。
「綺麗なもんだな」
 脚を伸ばして夜空を見上げる。
「うん」
 杏も半分ほど食べた皿を一度床に置き、頭上にたゆたう天の川を仰ぎ見た。
「山の上から見ると、星ってこんなに近いんだね」
「だな」
 両手を腰の後ろに回し、細めた視線を泳がせる。
「親にはちゃんと言ってきたのか?」
「手紙置いてきた」
「そか」
 すん、と遊馬が鼻を鳴らす。
「風邪?」
「いや」
 ここでふわりと会話が止まる。
 杏は視線を外して口をつむぎ、頭の中で言葉を探した。
「……何時だっけ?流星」
「11時」
「11時か」
 ケータイを開くと、青白い光が杏の顔を照らした。まだ9時にもなっていない。こんなことなら人生ゲームでも持ってくれば良かった。
 杏は再び皿を手に取り、カレーを一口放り込んだ。
「明日さ」
 短い沈黙を遊馬が破った。
「ファイアスターが走るんだ」
「ピー子のお兄ちゃん?」
「ああ」
「何だっけ、日本ダービー?」
「そう」
 良く覚えてるじゃん、と遊馬が笑う。
「瀬戸口先生に追い切りの動画を送ってもらったんだけど、調子は良さそうだった」
「瀬戸口先生って?」
「ファイアの調教師」
「はいはい」
 なるほどと頷きながらカレーを食べる。
「勝てるといいね」
「そりゃな。でも、アイツに関してはまず無事に回ってきてくれるかが心配でさ」
「大丈夫だって」
 杏は遊馬の横顔をチラと見て続けた。
「ピー子のお兄ちゃんだもん」
「根拠ねーな」
 はは、と遊馬が苦笑する。
「そうだけど」
 確かに何の根拠もない。とても体の弱い馬だということも遊馬から聞いて知っている。けれど、いつだったか、ピー子の写真を撮っている時に、大歓声が湧き上がる緑のターフを走り抜ける一頭のサラブレッドの姿が脳裏に浮かんだのだ。
 巧く言えないけれど……
「女の勘、かな」
「……ふーん」
 りりり、と虫が鳴く。
 どこかのバンガローから楽しげな笑い声が聞こえてくる。
「杏がそう言うならいけるかな」
 そんな気がしてきたよ、と一瞬杏に視線をやり、遊馬は煙草を口にくわえた。ライターを取り出したところで、ハタと気付いてポケットに戻す。
「いいよ別に」
「いや」
「もう食べ終わるし。それにあたし、煙草の匂い嫌いじゃないから」
「止めろって言ってたろ?」
「止めないと写真は見せないって言っただけ」
 ご馳走様、と手を合わせる。
「人気なの?ファイアスター」
 カレー皿を床に戻し、杏は大きく伸びをした。
「前日オッズで3番人気」
「へえ!凄いね」
「人気で着順が決まるわけじゃないからな」
「そうだけど」
 ぽす、と抱えた膝に顎を載せる。
 濃紺色の空との境に、静かにたたずむ有珠の山頂が見える。
「夢、だったんだ」
 いつの間にかくわえ直していた煙草に火を付けた遊馬が、まるで昔話でも聞かせるようにポツリと呟いた。

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「ダービー馬を育てるってのがさ、子供の頃からの夢だった」
 ゆっくり吸い込み、星空に向かって煙を吐く。もちろん、カメラとは反対向きに。
 杏は黙って聞いていた。
「前にも言ったけど、ファイアは俺がこっちに来て初めて取り上げた馬なんだ」
 煙が風にフワリと舞う。
「実家は小さな牧場でね、何とか細々とサラブレッドを生産してたんだけど、とうとう三年前に潰れちまってさ」
 ……やっぱり。と杏は心の中で呟いた。
「親父とお袋が地元の牧場で働かせてもらえる事になった時、岩田さんが俺に声掛けてくれたんだ」
 岩田と言うのは、初めて杏がピー子と出会ったあの日、杏と美月を叱った無精髭の場長のことだった。二人は以前から顔見知りで、遊馬がサラブレッドに抱く情熱を人一倍買ってくれていたらしい。
「当時ファイアのお母さんはそんなに期待されてなくてね、何ならお前が取り上げてみろって言ってくれたんだ」
「へえ」
 意外ね、とは言わなかった。ああいうタイプの人に限って、案外根は優しかったりするのだ。
「俺は物心ついた頃から馬たちと一緒に暮らしてきたから、あいつらのことなら大体分かる。そう思いこんでた」
 でも、と遊馬は続けた。
「ファイアは凄い難産だった。途中から場長や他の徹夜組も総出で手伝ってくれたんだけど、それでもすぐには出てこなくてね」
 プシュ、と缶ビールのプルタブを引く。
「あ、ビール飲んでる」
「いーじゃん。俺もう二十歳だし」
 ニヤリと笑って煙草の灰を灰皿に落とす遊馬に、杏は頬を膨らませた。
「ファイアの曲がった脚を見た時には愕然としたよ。やっちまったってさ」
「え?それって遊馬のせいだったの?」
「分からない。場長やみんなはお前のせいじゃないって言ってくれたし、脚の外向は普通先天性だ。……けどさ」
 遊馬はそこで押し黙った。杏も何も言えなかった。いくら自分のせいでないにしても、初めて取り上げた子の脚が曲がっていたら、誰だって自分を責めるだろう。
「アイツは俺の子供みたいなもんなんだ」
「……うん」
 分かるよ、と杏は呟いた。いつもは偉そうにしている遊馬の横顔が、馬の話をする時だけは、凄く子供っぽく見えるのだ。
 何だか胸がどきどきする。それがどう言う意味なのか、さすがに杏にだって分かる。もっと近くで遊馬の顔が見たい。ふとそう思った時、視界の端を何かが一瞬横切った。かと思うと、隣のバンガローから短い歓声が沸き上がった。にわかに周りが活気づく。
「……今の」
「流れ星だ」
 二人は目を併せると、もう一度濃紺色の空を見上げた。
「11時じゃなかったっけ?」
「ピークがそれくらいってだけで、その前後にだって星は降るって事なんだろな」
「フライング流れ星」
「まあそんなところだ」
 杏の可笑しなネーミングに笑いながら、遊馬が「そういや」と続けた。
「何かお願いしたか?」
「全然」
「だよな」
 速すぎるだろ、と毒づく遊馬と流れ星に、杏は少しだけ救われた思いがした。一度流れたっきりいつもの静寂を取り戻した星空を見上げながら、
「今度見つけたら何をお願いする?」
 と杏が尋ねると、
「そりゃあ」 と遊馬は鼻の頭を掻いた。
「ダービー制覇だろ」
「だよね」
 杏が楽しそうに頷く。
「なんたって明日だからな、レース。杏は?」
「あたしも一緒。……でも」
「でも?」
「もしもう一つできるなら、パパ……お父さんに帰ってきて欲しいかな」
「……え?」
 杏の予期せぬ答えに、遊馬は一瞬言葉に詰まった。
「あたしんち、六年前に離婚したの。ママは必死に働いてあたしを育ててくれてるけど、凄く無理してるのが分かるんだよね」
 遊馬はビールを一口飲むと、そのまま杏の話に耳を傾けた。
「実はね、あたしにカメラのことを教えてくれたのもパパなんだ。だからさ、こうしてると何か色々思い出しちゃって」
 あはは、と無理に笑う杏に、遊馬は黙って煙草に火を付けた。
「ごめんね」
 杏は明るく謝ると、「これ片付けるね」と言ってカレー皿を手に腰を浮かした。
「いいよ、俺やるから」
「それくらいさせてよ」
 髪をかき上げて立ち上がろうとしたその時、スッと遊馬と目があった。
 逆光、と言うのだろうか、薄い三日月を背に、遊馬が付けたばかりの煙草をもみ消した。
 短く逆立てた髪が風に揺れている。
 焼けた肌に長い首筋。
 細いくせに引き締まった肩が、杏に向かって静かに伸びる。
 今まで見たこともない、遊馬の深く透き通った瞳の色に、杏は吸い込まれるように動きを止めた。
 手と手が触れる。
 ガシャンと食器が床に落ちる。
 三脚の揺れを気遣う余裕など、二人にはもうどこにもなかった。
「……アスマ?」
 仄かな煙草とお酒の匂いが、杏の最後の言葉を遮った。
 星は静かに揺れていた。
 虫が微かに鳴いていた。
 あたりに落ちた月明かりが、まるで二人のバンガローだけをそっと隠してくれているようだった。
 少しずつ深まる夜気の中で、ウッドデッキに座る二つの影がゆっくり重なった。
「ん」
 と杏が身をよじる。それも一瞬だけのことだった。
 遊馬を受け止める杏の目に、二つ目の流れ星が瞬いた。
「あ」
 と一瞬離れた唇が、再び熱く触れてくる。
 杏はそっと目を閉じた。
 不思議と恐くはなかった。
 だけど……

 互いの指先を握り合ったその時、「コツン……」と何かが震えたような気がした。

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楓 十色

Author:楓 十色
仕事との両立に悪戦苦闘しながら、それでも物書きを止められない人。工学博士(防災工学専攻)、技術士(建設部門)。

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