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紺色の海、緋色の空

Category : 完結作品リンク

プロローグ

 ある朝、「彼女」から一枚の絵はがきが届いた。裏を返すと、そこには雄大なシロナガスクジラが深い海の底を泳いでいた。
 消印はカナダ。ケベックシティ――
 確か、絵本に出てくるような美しい街並みで名高い観光地だ。
 僕は目覚めのブリティッシュ・アールグレイをカップに注ぎ、テラスから神戸の街を見下ろした。
『この街に似ていると思わない』
 いつだったか、早紀がそう言っていたことを思い出す。
「そうかな」と答えると、「そうよ」と怒ったように言ってよこした芝居くさい顔も。
 カナダと鯨。
 何かのメッセージだろうか。
 僕は部屋から古いロッキングチェアを引っ張り出し、絵はがきを水平線にかざした。
 カナダ、カナダの海、大西洋、深海流、氷河、あるいは運河、捕鯨船、海賊、浜に打ち上げられた鯨たち……
 分からない。
 そもそも僕にはカナダや鯨の知識がほとんどないのだから、いくら絵はがきを眺めたところで何かを閃くはずもない。
「やれやれ」
 僕はそれをテーブルに放り投げ、ゆるりと足を組んだ。
 年に一度、僕は必ず十年前の夢を見る。そして、そんな日には決まって「彼女」から絵はがきが届く。この日がまさにそうだった。
 虫の知らせというヤツだろうか。そう言えば最近、大きなクジラが海を泳ぐ姿を何度も夢で見た。その夢はいつもアクリル・ブルーの深い海の奥で幕が開き、決まって一筋の光が海中に差し込むシーンから始まった。
 そこは、唯一光が氷山を通して深海に届く奇跡の場所だった。海中に突き立った氷山は巨大なプリズムのようでもあり、はるか昔に海に没した古代神殿の柱のようでもあった。その奥から姿を現したクジラは、氷山の谷を悠々とすり抜け、次々と群れをなして深海流に身を任せていく。
 なぜか僕もそこにいた。夢の中で僕はクジラの腕に抱かれ、まるで眠るように海の回廊を歩いた。無数の泡粒やプランクトンが、あるものは回廊の中で踊り、またあるものはクジラに飲まれながら、流されるままに遙か南方の赤道を目指していた。やがて視界から光が途絶えると、クジラは美しい声で唄を歌った。心の中に染みこんでいくような、とても優しい歌声だった。
 十五の光源が後方に流れた。
 彼女の歌声は海底に響き渡り、幾星霜もの時を超えて、僕の凍りついた記憶を洗い流していくようだった。
 心地よい脳髄の痺れとともに、僕はいつもそこで目が覚める。夢の終わりに目覚めるのか、それとも目覚めで夢が途切れるのかは分からない。確かなのは、僕は夢の中でクジラの唄声を聴いているはずなのに、朝目が覚めるとそれがどんな音色だったのかをどうしても思い出すことができないことくらいだろうか。
 夢なんて大概そんなものだ。
 もちろん夢だけじゃない。似たような事は幾らでもある。
 そもそも人は完璧じゃない。知らないことの方がはるかに多い。だけどそのことに気づかない。気づかされる機会がないからだ。人は何でも知っているようで実は意外と分かっていない。「君の事は分かっているよ」と言う男に限って、本当のところは何も分かっていないのと同じだ。僕がまさにそうだった。
「あなたに私の何が分かるの?」
 あの日、早紀はそう言って、緋色に染まった教室を出て行った。
 1998年の夏――
 もう、十年も前の事だ。

 あの頃、僕たちは高校生だった。僕たちはまだ子供で、世間を知らなくて、何をしても許される、誰かが護ってくれると心のどこかで考えていた。いや、もしかしたらそう思っていたのは僕だけで、早紀はとっくに気づいていたのかも知れない。
 だから、僕を護ろうとした。
「心配しないで」と微笑んで、僕に優しくキスをした。
「僕が早紀を護るから」
 と僕が言うと、早紀は本当に嬉しそうに笑ってくれた。
 それは、早紀が最後に見せた精一杯の笑顔だった。
 僕はそれすら気づけなかった。早紀の決意を、痛みを、その先に見ていた何かを、ついに最後まで気づいてあげることができなかった。
 僕たちはまだ十五で、待ち受けている未来に何の疑問も持ってなどいなかった。
『僕が早紀を護るから』
 僕は確かにそう言った。でも、その言葉の本当の意味も、重みも、責任も、その頃の僕にはまるで理解できてなどいなかった。ただそんな優しい言葉を口にして、一人いい気になってのぼせ上って、それだけで大好きな人を護れるような錯覚を抱いていた。
 高校一年の夏、僕たちは一人の大人によって、すべての未来を奪われてしまった。その半分はそいつのせいで、残りの半分は他ならぬ僕のせいだった。

 そう、
 僕のせいだったんだ。

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テーマ: 自作連載小説
ジャンル: 小説・文学

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楓 十色

Author:楓 十色
仕事との両立に悪戦苦闘しながら、それでも物書きを止められない人。工学博士(防災工学専攻)、技術士(建設部門)。

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